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1990/5/28 Tokyo University of Foreign Studies
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2009年9月2日水曜日

電車sorrow

前にもこんなこと書いたかわかんないんですが。
電車乗って、外を眺めてると、人間ってこんなにいるんだなーって感じる。
小田原の新幹線のホームとかね。名古屋方面にぼーっと突っ立ってると大きなマンションがみえるの。
あの綺麗に区画されたひとつひとつの部屋に、ひとつひとつ、別々の家族が別々の生活送ってるのって、なんだかとっても不思議。高さ・幅の少しの違いで、生活はまるきり違ってくる。

電車乗ってると、そういう幾つもの「生活」を何事もないように(まぁないんだけど)通り過ぎていくから、千葉にいたころかなー、小学一年生くらいだったのにすごいさみしい気がした。

こんなにたくさんの人が 世界にはいるんだろうけど、その人たち全員と知り合いになることはないんだな、と思うと。

今さらですがそんなに社交的な人間じゃないし、友達百人作りたいわけでもないんだけど、凄い惜しい気がした。当時はね。

今は…どうだろ。小さな土地にしがみついて必死に生きてる人間が、こんなにもいるんだなと思うと 人間ってなんなんだろとか思う。

こんな妙な考えしてるのは「屍鬼」読んでるからですね。「死は等価で、誰の身の上にも起こることだからひどいと思う」という考え方は今まで持ったことないから、印象的。そうだね、生前にその人が何をなして、どういう状況だったから残念な死だ、とか大往生だ、とか言うのは不自然なんだな。
じゃあ若くなきゃ死はひどくないのか、と言われたらそれは返答に窮すでしょう。だけど若い時は、訪れる死への可能性をあまり考えないから、唐突に未来を奪われた気がするから余計に惜しい、気がするんだって、「屍鬼」では言われてた。あたしは別に主張するわけじゃないんですが。ああこういう観念もあるんだ、と。

長くなってしまった。でも「死」って誰にでも起こることだけれど、軽々しく口にできない(とされている)ことだから、これくらい割いてもいいのかもね。読む人は大変に苦労すると思うけれど。

人間は何のために生きてるんだろう、と少し哲学的に考えてみた、のかな? ごめんなさい哲学苦手なんだ 小難しい表現で有耶無耶にされている気がするの 結局 答えなんて見つかるはずもないのに 考え込んでしまうから どんくさいんだなぁ あたし 他の人はそんなこと考えていないか、気づいていてもそれを意識の片隅に追いやる程度の器用さは持っているんだろうね

本当に長い… でも 書きたいことは 書けた気がする。秋って理屈っぽくなる季節

境界線

はい九月~。昨日はPCを家族が占領していたので書き込めませんでした。なんか「SAI」やらせろとか言ってね。気味悪い絵を描いてね。

大学生はあと一か月夏休みです。羨ましいなら小中高の学生ども、がんばって勉強して大学に入りなさい。

良い風が吹いてる。きっと東京はまだ暑いんだろうな。残暑が厳しいって言ってたもんな。

となるとあとのお楽しみは「お祭り」「外語祭」「年末」くらいになるんですが。掛川の祭どうしようかな…
戻ってくるのめんどくさいんだよな…
歩きまわるのも踊りまわるのも あの、体力ないんで…
知ってる子が出るというのなら出ようかな、なんて。
屋台の前で踊り狂ってるお兄さんお姉さん、たちを離れたところで見るといろいろ考えさせられる。
妙な楽しみ方ですか。そうですか。

屋台新調してくれるっていうなら うれしいな