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1990/5/28 Tokyo University of Foreign Studies
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2011年5月1日日曜日

かわいい子には旅をさせよ

かわいくもないのに勝手に旅に行ってまいりました(笑)
旅行中は携帯でブログにアップしてただけなので、支離滅裂な投稿になっております。のでまとめてみる。
大体は、夜ホテルで日記にズラズラ書いた分や、京都駅のマクドナルドで暇すぎて書いてた分。

2011.4.29

話は昨夜に遡らねばならない。深夜の新宿で延々とバスを待たされた揚句高速もGWの渋滞にガッツリはまり、予定より6時間も遅れて大阪に着いた。

いそいで(そして迷いつつ)大阪万博跡地内の民族学博物館に入ったのは閉館1時間前。

閉館のアナウンスを聞きながら、それでもオセアニアと東アジアだけは丹念に見て、折角来たんだからと本を買って、ホテルのチェックインに急ぐ。この時点で全く大阪を観光していない。

では、そのミンパクをさらに詳しく。

やはりバヌアツの資料は乏しい。メジャーなのは断然メラネシア<<ポリネシア、そしてメラネシアの中でもバヌアツ<<パプアニューギニア。しょうがないけど、しょうがないけど…。

モンゴルの区分が曖昧で、「ンッ?」ってなった。馬頭琴が中国の楽器にまぎれていたり、カザフのそれと対比するかのように置かれたモンゴルのゲルがあまりにもみすぼらしく見えたり…。
悪意を感じるぞ民博。

ホーミーの展示はあったのだろうか。急いでいて見過ごしたのかもしれない。

日本エリアが地味過ぎて(しかも史料は豊富で)悲しくなった。

買った本はポリネシア関連…違うんだよぉメラネシアを知りたいんだよぉ!!
民博にしては本が少なかったのではないか。

とにかく乗り継ぎが辛くてえらい目にあった。大阪って大きい。


夜の歓楽街にしゃれこもうと思ったが宿の隣、そして周囲はほとんどラブホである。結局地下街のホワイティ梅田に逃げ込んでウナギを食らい、コンビニで酒を調達し、オッサンと女が隣のラブホにしけこむのを横目に寄宿。

ほろ酔い3本あけてルパンⅢ世Dead or Alive観て、結局パニッシュは死んだんやろか ルパンはレジスタンスの方も指揮したんやろか 難儀な話やなぁとか考える。オーリーの顔面崩壊(泣くトコ)がショッキングであった。


2011.4.30

朝八時半起床、1時間後チェックアウト。JRで京都へ。一時間弱でついた。

八条口を徘徊し、バス乗り場が見つからないので電話してなんとなく確認、ロッカーにキャリーケースを入れて市バスに乗り込む。

500円でバスパスカードを買ったので、大人1回220円のバスに3回以上乗ればいい話である。

漠然と清水寺を目指すものの、本に夢中になりすぎており間違えた。

場所は平安神宮。暇なので寄ってみたが、でかいだけである。再びバスに乗って清水道で下車。さかをいつまでもいつまでも上り続け、頭痛がしたころ入り口に着いた。

京都に来てからやけに金が消えていくのは拝観料のせいだ。

ぼったクラレ清水の舞台へ。中学の修学旅行を思い出す。

あの時は雨で滑りやすくて、おまけに傾斜していた舞台の上で阿部っちがイケメンのくせにビビり倒していた。イイ気味である。

とか思いながら隣で下を覗き込んでいたおばちゃんが
「どれくらいあるのかしらね~20m?」と言っていたので、

「13メートルくらいですよ。落ちても死んだ人はいないようですし試しにどうですか」と言いたくなったがやめた。確か骨折者くらいはいた。

参拝はほとんどしてない(ヲイ)。めんどくさいし神道だしメンドクサイしそんなに5円玉持ってない。

坂を下りきるまでに昼(お好み焼)を済ませお土産を買いにわかに汗を滲ませて三度バスへ。三十三間堂で降りた。

「33体にしては多いな…」という間抜けな感想で一人ツアーは始まった。風神雷神は楽しかったけど、途中の大仏や金剛なんか別に…である。

そろそろ抹香臭いのにも飽きていたし足早に歩く。600円分は見なければ、と庭をなんとなく散策した。

知らなかったが三十三間堂を作らせたのは平清盛for後白河法皇。脳内では完全に渡哲也と平幹二郎になっている。恐ろしいNHKの威力。

向かいの国立京都博物館は建て替えであと2年半は見られないうえに900円も払って観たくもない法然展へ。まったく京都の経済は安泰だぜ。
(ここまで書いてマックを追い出された)

バスで今度こそ京都駅へ。伊勢丹に乗り込んでみたがビビって何も買えず、マックで四時間ほど粘って今バス乗り場にいる。

定刻通りバスは発車し、6時に横浜駅着。パスモには378円しか入ってなかった。どうしよう。




370円で着いた。