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1990/5/28 Tokyo University of Foreign Studies
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2010年1月31日日曜日

普遍的真理は存在しない

今日の晩飯はシチュー。野菜をぶった切りながら哲学的思考を働かせる とんでもない家事。
タイトルはニーチェの受け売りなんだけどね。
ジャガイモの皮剥きながら思ったの。

わたしたち人間は「ジャガイモ」を認識することができる。丸いのや、細長いのや、いびつな形、いろんなジャガイモがあるけど、それを「ジャガイモ」ってひとくくりにできる。「ジャガイモを思い浮かべて」って言われたら、なんとなくの「ジャガイモ」って想像するわけ。これプラトンのイデア思想。
でも、現実世界には、わたしたちが頭に思い浮かべる「ジャガイモ」にぴったり当てはまるジャガイモなんて存在しない。それは様々な形のジャガイモの、特徴をなくしたり忘れ去ったりすることで作られた抽象的な「ジャガイモ」の概念だから。

そして思考はとんだ。「ジャガイモ」→「スーパー」→「そういやこないだ静鉄ストアで幼稚園生の絵が飾られてたな」
小さな子が描いた絵を観るのが好きなの、実は。ある程度大きくなった子(とくに女の子)は、人間をデフォルメ(っていうのか、気持ち悪く)絵を描くようになってしまうの。そういう、人間の目に星をちりばめるような絵じゃなくて、タイプ的には小さな男の子が人間をリアルに描く、そういう絵が好きなの。
マンガみたいな目を描いて世界を美化させたい女の子とは違って、男の子には本当の、目に見えたありのままの絵を描いている子が多い、というのは私的意見。
この場合、(二極化させれば)女の子はプラトンの魔法にかかっちゃってるってことかな。なんとなく「人間」ってこういう感じ、こう描いておけばかわいいだろう、みたいな。実際可愛いどころかこんな人間いたらおっかねえぇ!! なんですが。 そういう、「そつなく」「無難に」済ませる絵は好きじゃない。
下手くそって言われようが、センスないって言われようが、それは本当に主観的な意見。目に見えたものをそのまま描ける才能のほうが素晴らしいよなって、スーパーでいろんな絵を観て思った。

かくいう私もちいさいころはお目目くりくりした人間を描こうとして(みんなのようにうまくはいかなくて)いたガキんちょなので、ありのままに描ける才能はうらまやすぃ~。

絵についてのあれこれ。ニンジンが半ナマ。

Voice in noise

どれだけ寝ても寝た満足感というか、実感というか、そういうものが得られない。
夢も千切れて形を成さない。切迫した夢も幸福な夢も意味不明な夢も、全部。

良い天気でとても外に出かけたいんだけど、出かければ散財するのは自明なので控えてます。鬱になりそうだけどね。夕方にスーパー行くくらいにしておきます。駅ビルに行けば何かしら買ってしまう。六時に出かけるぞぉ

This is it も まだ観てないよ。約束守れる子だもの。試験終わるまで観ないって決めたもの。

onとoffの差が激しいなぁ…って自分で思うよ。授業のある日は絶対寝坊しない、遅刻しない、テキパキ。休日のだらけきった生活はホント嫌になる。計画したことがどんどん崩れていく。計画はぶち壊すためにあるものなんですってね。誰が言ったんだか、うれしい限りです。

てなわけでお布団干し中ぅぅぅ 掃除もしたよ★