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1990/5/28 Tokyo University of Foreign Studies
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2012年8月1日水曜日

Zur Genealogie Der Moral


「自己」とは、一体なんだろうという哲学最大の疑問を自分なりに論じなければならない。みずからが所有しているくせにそのすべてを把握しきれない複雑でち密で、この上なく粗野な生き物、人類の一部、霊長類の末端。
分からないことはこわい。知らない他人はこわい。自分と相手の共通意識を探り合って、安心して、安心できる者同士で共同体をつくり、数を増やす。安心するために。逸脱する弱者や少数派は「悪」とみなす。共同体の対極をなすものだ。
否の言葉の下に否定したもの、その対極にあるこちらは当然「善」である。否を言うものはいない。みずからを「善」と名乗る彼らは、すでに社会的経済的知識的優位にあるのだから。

・・・と、いう、哲学レポートのわたしなりの考えを、徹夜して考えてたんですよ。序盤はこれでいいと思うんですよ。で、いつのまにか「対極」が問題の中心であるかのごとく持っていきたいんですよ。相手依存の自己規定、という小論を昔読んだことがあるけど、まさにこのことなのではないかと。みずからをこうだ! と言い切れない人間の未熟なところだ。

ニーチェによれば刑罰は犯した者の責任を問うために行われるのではなく、被害者の怒りや鬱憤によってなされるものだ。確かにそうかもしれない。刑罰に伴うのは悔悛を見る喜びではなく残虐な刑罰を見る快楽だ。人間は、たとえ精神高潔な(らしい)ギリシア人であっても刑罰以上の快楽を見出すことはできなかった。そして西洋人は――

ここまで行ってこと切れた。「疚しい良心」だとか「禁欲的な理想」だとかいうキーワードがあるけどそれがどういうものなのかぶっちゃけまだよく分かってない。
こんな中途半端な説明じゃわっかんねーよバーカ! という方はテメェで文庫買って読めばっきゃろおおおお!!! ケータイ小説やラノベで緩み切ってる貴さまの脳にはちんぷんかんぷんだぞ!(誰を想定して言っているのか)

でー、今日昨日より涼しいってテレビで言ってたからー、世界堂で水彩用のマスキングインクとか買ってー、芹が谷公園に足を延ばしたらー、それでも30度超えなのー。もうこれやばくない? 熱帯じゃない? 「節電」のふた文字で人は死ぬよ?

公園内の版画美術館も行ってきた。なんや4日から特別展やるんだってねー。その時いけばよかったー。ちょっともう遠いー。cicadaいっぱいいるしやだー。レポートの着陸地点もよく見えてないからやだー。お風呂入ってちょっとすっきりしてくるー。

当然ぜんぶ読んでくださったのですよね??? 夏に哲学なんてやるもんじゃねえですよ