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1990/5/28 Tokyo University of Foreign Studies
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2010年8月25日水曜日

ぼくの夏休み

今日(昨日)外大まで汗水たらして通学した時にふと思った。

あたしの夏休みって、これまでどうだったっけ?

高校時代。通学に往復3時間かかる高校を選んだ私も私だが、夏休みも例外なくその3時間を毎日規則正しく消費していた。部活、受験勉強という名の魔の補講がその理由だった。とくに世界史などは出席しないと戦後の近現代史が置いてけぼりになるのでエアコンのない部屋で必修、と地獄であった。
部活は毎日規則正しく炎天下のグラウンドを朝の9時から12時まで走り回る。暑すぎると逆に汗が出なくなることを発見した。焼津の競技場の草むしりをしていたおばちゃんたちが甲子園で惜敗した静岡商業の大野投手のことを語り合っていたのを覚えている。かわいかったよね。

中学時代。夏休みは部活と勉強のためのものだった。午前中に部活は終わるものの、昼寝をしないと体力が持たない。こうして一日は過ぎていく。かりそめの塾生だった私は自転車で2,30分かけて掛西へ送りこもうとする講師たちの話を聞いていた。誰も藤枝東に行こうという同志がいなくて正直さびしかった。
夢中になったMP3。なぜ選ばれたのか今でもよくわからない生徒会長。わけもわからず歓迎の挨拶をした全国中学生ソフトボール大会。二枚もらったフジっぴーTシャツ。あの時シャツをくれたおじさんは誰だ?

小学生時代。スポーツ少年団に入ることを極端に嫌っていた私はそれなりに暇で、友達にアポをとることもなく学校のプールに単身行った。「行けば誰かいるだろう」という安易な考えからである。
あいにくそこに気安い友達は誰も来なかった。準備体操代わりのラジオ体操第一。そんなものじゃのびないアキレス腱。
プールの旧式のトイレの、個室のドアの鍵が動作不良で開かなくなり、一時閉じ込められた。何より「汲み取り式」トイレであることが生理的に受け付けなかった私はドア上部の隙間によじ登って事なきを得た。泣かなかった自分をほめてあげたい。あのトイレは今でも健在だろうか。

小6の夏休みに初潮を迎えた。まさにその日、うちの母がプールの監視当番だった。家にこもる私。固定電話が鳴る。母の携帯からだった。受話器の向こうから聞こえる、知った声。
友人たちは「ひかりのお母さんが当番」=「ひかりもついてくるに違いない」=「遊ぼう!」というすばらしい考えで、その日まで全然来なかったくせに、その日に限って、プールに現れたのである。
「ひかりィ、どうして来ないだ?」と静岡県中部なまりで無邪気に尋ねる友人。返答に詰まる私。言いようのない悲しみ。ちょうど初潮で「これからほぼ一生月イチあんのかよ…」と暗い迷路の入り口にいた私はさらに途方に暮れた。

そもそもアポなしで遊ぶのがいけないのだ、とご指摘の方もあるかもしれない。だが当時私は電話に不慣れだったのだ。顔が見えない相手に何を話せばいい。平成生まれがこのざまだ笑いたまえ。

そのほかはいたって楽しい夏休みである。国内は北は北海道南は屋久島まで攻め入ったし、キャンプも東京のひよっこたちには比べられないくらいしている。時折おこる不幸なハプニングが意外に印象深いのだ。

小中高とふりかえってみたが、大事なのはこれからである。もう大学生、自分の好きなように自分の夏休みをカスタマーイズできる。スペ語サマースクールは自分で選びとったあたしの夏休みだ。実際スペイン語はたのしい。スペイン文化も楽しい。そういえばサルバドール・ダリもピカソもスペイン人だった。

みなさんも素敵な夏休みをお過ごしください。
あたしはあと一カ月あるからな

1 件のコメント:

  1. おはよう!

    君が帰省する日に町田に迎えに行くようにするかな?

    まだ先かな?

    米は5キロくらいを買いなさい。

    この計画どうよ?

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